
とは西郷隆盛の詩の一節ですが…
やはりこの点を日本人が忘れたから
日本は衰退していってるのだな、
そう思わされることが
最近よくあります。
たとえば、商店街。
駅前の一等地をひきついだ商店街の息子さんは
まわりのことなんか気にしない。
自分の土地なんだから何をしてもいいだろう
と、事業承継には消極的で、
かといっても息子は都会にいるので、
せっかくの一等地のお店は
シャッターで営業せずに、
商店街全体の雰囲気を盛り下げている。
たとえば、田舎の空き家や土地。
都市部に住まわせてる家族の
住所をそこに設定すると、
いくらかのお金が自治体からはいってくるので、
ひとには貸さずにそのままにしておく。
その結果、
風光明媚な場所と建物は
誰にも利用されずに、草ボーボーで
地域の景観を悪くしている。
つまり、
あまりにも所有権と相続を前提に
私たちの社会は成り立っているのだけれども、
昔はその所有の前提となっていた
世のため・人のため、という精神が
全く引き継がれていない、
そういうことを目にすることが
多いです。
あえて子孫に美田を残さずといった、
西郷隆盛は
なぜ明治政府から離れたのか?
それは、
現在の日本政府の先祖である
明治政府の政治家・役人たちが
美田を買い集めるような人々だったから
といわれています。
そもそも
子孫に美田を残す必要がどこにあるのか?
本来は、世のため・人のために行動できるように、
自らの子孫が強く美しい人間になるための
きっかけや環境を与えてあげること、
そのことこそが大切なことで、
美田を買い与えて甘やかすことが
ポイントではないはずです。
むしろ、
美田を与えると自立が難しくなるので
やめたほうがいい、
そういうことを西郷さんは
いっているのです。
ちなみに合同会社ハリー村は、
持ち分をこどもに引き継ぐことができません。
なので、もし私にこどもが生まれて、
会社の事業がうまくいったとしても、
そのこどもは0スタートです。
いきなり関連会社で取締役スタートなんて
ことはありません。
株式会社は
株主の保有割合で会社の所有権がきまりますが、
合同会社は定款に定めがなければ
持ち分は相続の対象とはならないのですね。
おもしろい点だと思います。
それでは!